カップ麺だけの昼食は幸せか
被災地の話。
被災地の小学生が学校へ弁当を持って行くことに。カップラーメン1個しかなかったそうな。それを見た被災しなかった子が、放課後自宅に招いて其れなりにもてなし喜んで貰えたというお話。
被災地の小学生が学校へ弁当を持って行くことに。カップラーメン1個しかなかったそうな。それを見た被災しなかった子が、放課後自宅に招いて其れなりにもてなし喜んで貰えたというお話。
悲しい話として紹介されてました。上を見ればキリがなく下を見てもキリがないとは言いますが、私が小学生だった頃は、
ご飯に水と塩をかけただけで とても美味しいと思って食べていました。
日曜の朝、塩だけの炊き立て熱々の白いおにぎりが出た時には小踊りしたものです。具も入って無ければ、他にオカズもありません。まして、お昼にカップラーメンがでたら喜びの余り気絶したかも知れません。
日曜の朝、塩だけの炊き立て熱々の白いおにぎりが出た時には小踊りしたものです。具も入って無ければ、他にオカズもありません。まして、お昼にカップラーメンがでたら喜びの余り気絶したかも知れません。
私の幼い頃の食事、つまり、我が家は非常に貧しかったのだと、今頃気づかされた次第です。しかし、被災地ではないので、私は両親がいなくても祖母と二人暮らしでも、毎日それなりに楽しく暮らしていました。
逆に、どんなにいいものを食ていても被災地や避難所では 凡そ楽しい気分とは程遠いのだろうということになります。